製造業が日本の強みってホント?
日本はグローバル人材がなかなか育たない。「中学~高校~大学と10年もの歳月を英語教育に費やしても尚、日常会話すら儘ならない」というのは昔からよくある議論ですが、一般的な状況はあまり大きくは変わっていない気がします。
私はその昔、ヘッドハンターを生業としていた時期がありますが、日本企業在籍で5年、7年とアメリカや欧州諸国に駐在されても、ごく基礎的な英会話すらできない方のあまりの多さに、当時只ならぬ衝撃を覚えたことを思い出します。
その後、日系大手メーカーの海外現地法人で働く機会を得たのですが、実際事業会社の現場に出てみて、コンサル時代には見えなかった問題の根深さを目の当たりにしました。
日本の製造業の底力を否定するつもりはありませんが、こと「グローバル化」という観点で言えば完全に立ち遅れており、とにかく外国人スタッフを使いこなせる日本人は正直皆無。
その一方、これは単なる語学の問題だけではなく、島国特有の文化的孤立や歴史的背景にも起因する根深いモノのような気がしました。
海外で渡り合う上での弊害
まぁ、一言で言ってしまえば「外国人の扱いに馴れていない」ということになるのですが、その中でも顕著なポイントが大きく3つほどあるように思います。
① 忖度ありきのコミュニケーション
そもそものボタンの掛け違いは「(大人なんだから)言わなくても分かるでしょ?」というアプローチ。以心伝心という名のサイコキネシスは、幼少期から訓練を受けた日本人にしか操ることのできない特殊技能であるにも関わらず、それを前提に仕事を進めようとする…
言わなきゃ伝わらない世界で、言わない訳ですから伝わる訳がない(笑)。察っしてくれることを期待し続けるのではコミュニケーションと呼べません。
で、「あいつは気が利かない」だの「外国人はレイジー」だのと陰でブツクサ言いながら、本人たちには一度も明確な形で伝えることもなく、結局は日本人チームで全部やっちゃう。本社も当然現地スタッフなんか使いこなせず、駐在員を召使のようにコキ使う図式です。
② 怒り心頭に発するまでひたすら沈黙を守る
マイクロマネジメントを潔しとしない文化というか、前段にある「推して知るべし」の美学からか、とにかく明確な指示を出さない。それでいて上司のムチャ振りを自分で消化して、計画に落とし込み “報・連・相” して提案することを求め、承認のあとは結果のみを待つ。
「結果が出れば私の指導のおかげ、出なければ君のせい」これ、ハッキリ言って日本人以外は理解できないし、実行できないし、そもそもやろうとしてくれる訳がありません。(まぁ最近では日本人でも相手にしませんが…)
結果やプロセスが気に入らないなら「そのパフォーマンスじゃダメよ❤」とやさしく教えてあげればいいのですが、悶々としながら本人の“気付き”をひたすら待つ…待つ…待つ…で、いよいよ「お前ええ加減にせんかい!」という段でワナワナしながらいきなり噴火する。
ノン・ジャパニーズからすれば、こんな上司は情緒不安定なサイコパスにしか映らないし、怒られる理由が全く不明瞭なため、本人は八つ当たりされた!くらいにしか思っておらず、業務における本質的なカイゼンは期待できないと思います。
実際、仕事を進める上で日本人は“フィードバックの大切さ”を学ぶだけで業務効率が格段にアップすると思います。最初に本人と一緒に目標を設定して納得尽くで合意する。目標到達までの道筋を一緒に考える。計画に沿って実行する。途中経過を評価して本人に伝える。
これが本当のPDCAだと思うのですが、個人同士面と向かってダメ出しをするという状況に対する精神的ハードルが異常に高い。批判する度胸がない?というか、不必要にテンパるというか…体裁を配慮する恥の文化のせいか他者を否定することに抵抗が大きい気がします。
感情を込めずに淡々と「キミのパフォーマンスは酷いよね…この状態のまま許容することはできないよ」とハッキリ伝えてあげて、「じゃあ、どうやってカイゼンしていこうか?」と一緒に考えてあげれば済むことなのに。実はこれって慣れてしまえば全然難しくないです。
③ 外国人からの称賛や謙遜に極端に弱い
そんな恐ろしく内気で内弁慶な日本人ですが、意外とあっさり落とすことができます。
これは一にも二にも“劣・等・感”の裏返しなのですが、外国人からの称賛にとにかく弱い💦特に白人から少しでも褒められると「国際的に通用しているオレ(ワタシ)」に酔いしれ、その感動を相手に対する絶賛と全肯定という形で“操を捧げるが如く”報いようとします。
ここでもう一つ重要な問題点は、仮に日本人部下がその外国人とまったく同じ成果を上げていたとしても決して同様の評価にはなり得ないということです。日本人部下に対する仕事の要求レベルがそもそも外国人に対するそれとは比べモノにならないほど高いんです。
そしてその背景としては、上記①や②のような体験を通じて、外国人部下を使いこなすことをそもそも最初から放棄してしまっている部分が大きいのではないかと思います。
そんなこんなで日系企業の海外法人では、まるで隔離政策かのように日本人は日本人同士でちっちゃく固まり肩寄せあって生活しており、また業務報告は結局のところ最終的に日本語なので、海外に居ながら大半の生活は日本語で事足りてしまうということなのです。
ある種文化的なコミュニケーションのハードルを越えない限り、日本企業のグローバル化はほど遠いし、たとえ世界に通用する技術力がある製造業だったとしても日本人が長期スパンで世界と渡り合っていくことは難しくなってしまうと思います…がんばれニッポン!